『模範家族』シーズン1を見終わった
数年前に韓流ドラマにハマって以来、じっくり作品を観る時間が取れずに今日まで来ていました。
そんな折、Netflixドラマ『模範家族』を観る機会が訪れました。
2022年8月12日から配信スタートしたというこのドラマ。
シーズン1は全10話で構成されています。
大まかな流れ
【序盤】
ひょんなきっかけで自分とは接点がないはずの世界と繋がってしまった主人公「パク・ドンハ」。彼はいわゆる模範市民です。
ドラマの序章は、彼が抱える家庭不破の様子が痛々しいほどに描かれます。
そして、まさかの人物があちらの世界の人物と交流があるかもしれないことが判明します。
「嘘だろ・・・。」(ドンハ)
【中盤】
お話が進むにつれ、とことん悪い奴らがどんどん登場します。
悪い奴らがどんどん悪いことをします。
人を痛めつける描写が苦手な私としては、観るに堪え難いシーンが数多くありました。とても痛々しい・・・。
ただ、不思議なもので、ある人物がだんだんダークヒーローに見えてきます。
「俺かな?」(グァンチョル)
【終盤】
後半は、登場人物が増えてきたがゆえに生じる「誰が誰なのかな?」現象が発生しました。それぞれの登場人物の名前が韓国名であるため、似たような響きの役名同士は混同しやすかったです。
一体、誰が裏切り者なのか。
なぜ、こんなことをするのか。
いつ、解放されるのか。
このような問いによって人が突き動かされる様が、要所要所で丁寧に描かれていると思いました。
警察官ジュヒョンがある事実を発見した時、彼女の感情が爆発するのですが、その時の演技がもう、心が握りつぶされるほど辛かった。感情のダムが決壊したような、悲しみと憎しみと怒り、いろんな感情が溢れてしまったのですね。
素人目線でこっそり一言
- 登場人物たちの笑顔は、なかなか拝めません。
ただ、シリアスな表情や情けない姿というのが胸を打ちます。 - 「表情がもっと見たかった!」というシーンで俯き顔に固定されていたり、「全体像を把握したい!」というシーンで個人にずっとフォーカスされていたり、日本のドラマ画角に慣れている私個人にはむず痒く感じる画がちらほらありました。
- ガラス窓に銃弾が当たるシーンがあるのですが、対象に当たった後に、時差でガラスが割れます。「この美術さんのこだわりすごい!」と感嘆しました。
シーズン2はある?
シーズン1を観終わりましたが、まだ解決していないことが残ったまま10話目が終了します。それは、顕在化しているものだったり、容易には見えない深海に潜んでいるものであったり。
主人公とその家族が彼らから解放される日は来るのでしょうか・・・。
シーズン1の終わり方からみて、シーズン2はあると思います。
否、あって欲しいと願っています。
この物語のコアにあるもの
ドラマの題名から察することができるように、この物語は「家族」がキーワードだと思います。
作中、「家族」という言葉がいろんな場面で使われています。
「家族だろ?」
「家族ではない。」
「家族に戻れなくなる。」
各所に散りばめられた「家族」という言葉。そして、その言葉が持つ意味や重さ。
それぞれの登場人物が期待している、「家族」との関係性や、そのコミュニティ性。
過去に戻りたいという願望は、主人公ドンハからだけではなく、他の登場人物たちからも感じとれます。
もう一つのキーワード「模範」。
「模範」的な人物が「模範」的な人物を装いながら悪事に手を染めていく。
ルールを逸脱しない倫理観を持った人物であっても、ある種の欲が沸くことで、いとも簡単にボーダーラインを超えてしまう可能性。
皮肉にも、主人公ドンハがすがり続ける大学教師という職業と、彼が ”研究” している分野は、人間は何に突き動かされ、どのようにして自身の身を滅ぼしていくのかを説いているように思いました。
「模範」から、とうにかけ離れた人生を歩む登場人物たち。彼らが本当に望んでいるものは、「普通の家族」かもしれない。「普通に信頼し合える関係」かもしれない。
多種多様な登場人物が時折見せる、寂しそうな眼差しは、誰の姿を追っているのでしょうか。
それぞれの居場所や存在意義というものを、自己中心的に相手にぶつける登場人物たち。お互いにわかり合うためには、信頼し合うためには、相手の声に耳を傾けることが大切なのだ。
この物語が本当の意味で終わる頃には、登場人物たちが、彼ら自身にとって望ましい「家族」という形や関係性を気付けたらいいな、そう思わざるを得ない作品でした。
ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。