まずは第一歩を突破
前回の投稿から約1ヶ月半以上が経ちました。
長い準備期間を経て、先日、夢を実現するための第一歩をクリアしました。1回目の挑戦で突破できたので、本当によかったです。
今日は、現状の整理のために私自身を振り返ってみようと思います。
これまでの人生で分かったこと
私は周りの人に比べると要領が悪く、頭もよくありません。
運を逃すことも多いですし、誰かにいいように使われたり、手柄を横取りされることもある、そんな人生でした。
なぜ、こういう人生なのか。その理由はさまざまですが、「待ち」の精神が強いことが挙げられます。
「自分はなぜ、与えられないんだろう」
「なぜ、なめられた態度を取られるんだろう」
このような気持ちを何度も何度も抱き続けてきました。
状況に抗いたくて、「努力」しているように見えることをしたり、気に入らない人の足を引っ張ったり、自分は「できるはず」なのにという言い訳を繰り返しました。これらの行いを中毒のように繰り返したことにより、私は周りからの信用を失いました。気づいたら、私はいつもひとりぼっちになっていました。
「なぜ、周りの人たちのようにスムーズに物事を進められないんだろう」
「周りの人だって、私と似たような最低なことをしているのに、なぜ私だけこんな目に遭うんだろう」
何度となく同じ間違いを犯して、30歳も半ばに差しかかるころ、私はようやく自分の未熟さに気づきました。
理不尽な扱いから生まれた卑屈な気持ちが、人を陥れて自分を優位に立たせよう、という歪んだ正攻法を生み出した。その正当性を必死に証明しようと生きていたのです。
人には人の正しさ、そして言い分がある
どれだけの人たちが正しい人間性を持っていて、そつなく世間を泳ぐことができて、「適齢期」に人生のターニングポイントを迎えることができ、「正解」とされる人生の醍醐味を堪能するのでしょうか。
この場所で生活を始めて、早4年が経過しましたが、さまざまな倫理観やモラル、正しさと出会いました。日本で培った私なりのそういったものが全く通用しない人たちと、たくさん対峙してきました。
過去、私を裏切った人たち、嘲笑った人たち、いじめの対象とした人たち。彼らがしてきたことは正しいことだとは思いませんし、許容しようなどとは到底思っていません。
ただ、もしかしたら、私の共感し得ない彼らなりの「正しさ」のもと、彼らは生きていたのかもしれません。それ以上私が考える必要はないと思っています。なぜなら、人には人の正しさがあり、当事者以外の誰かが共感できない精神を持っている。
そのように、この地での生活を通して気づいたからです。
これからどう生きるか
物事はなるようになるべくして成っている
長い間、私を苦しめてきた考え方から自分を解放してあげることができる、そんな考え方にようやく達することができました。
正直、もう、誰かに期待するのはうんざりです。裏切られるのも、都合の良いように使われるのも。
だから、人は離れていくもの、として接するようにしました。
私も、誰かにとって「うんざりする人」の1人かもしれない。
そうだとしても、去り際にはしっかり感謝を伝える、これは大切にしています。
出会いの時、人は自分をよく見せようと奮闘しますが、去り際はおざなりになりがちです。それは、相手のことをもう大切だと思っていないから。感謝を忘れてしまっているから。
別れ際、繕ったものでもいいから、「ありがとう」を伝える。これは、実はとても大切な去り方だと思います。これを常に念頭に置いて生きていきたい。
この人生の延長でこれから出会う人たち。どんな人がいるんだろう。
どんな人であれ、私は私でいたい。
感謝を伝え続けていきたい。
これまでにたくさん傷ついてきた私だからこそ、その大切さがよくわかるのです。
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。